九州橋頭堡35

「多々良浜の戦い」

 スーパー・イラン帝国は大教祖大帝王 副棒庵 八貫坊の死により瓦解していった。
各地のスーパー・イラン帝国兵と諸派は続々と真・日本国軍に投降していった。

もっとも劇的だったのは天草 八郎の暴挙で地獄より悲惨な事態になった長崎の地だ。
沖合に真・日本国艦隊が現れると大衆は逃げ回る。
もう『神像』は無く大教祖も死んだ、敵の謀略放送だと信じていた者も『御業』が起きない現実に容赦なく叩きのめされた。

真・日本国の上陸部隊が入港するころには米軍・外道川政権関係者の処刑を扇動していた者達が
今度は処刑台に吊るし上げられ町は死臭に包まれていた。
周辺各地に逃げていた人々が隠れていた扇動者達を表に引きずり出し報復している。
この事態に憲兵隊が出動し息のある者を確保し私刑が頻発しないよう牢に居れた。

ここまで極端な事例は他には無かったが、他の地域でもスーパー・イラン帝国関係者が報復を恐れ我先に投降するケースが散見された。
中には南有馬勢の如く籠城したり匪賊化したりする者も居たが地元の自警団で対応可能なところまで安定した。
長崎に上陸した部隊は本来、配属されるはずだった西九州軍の指揮下に入り佐賀・長崎両県の敵部隊の武装解除に奔走した。

確かにスーパー・イラン帝国は崩壊した、だが生き残った人々には蟠りも多く治まるのは当分先だろう。


  小倉城跡地「幽霊館」

 暫定的に米・外道川軍の九州地区司令官になったマイトガイ大佐は真・日本国とスーパー・イラン帝国が
潰しあいを行っている間に戦線を整理し混乱から立て直すことには成功した。

だがそれは九州北東部に限った話である。
瀬戸内海では爬虫類か両生類のような地底人達が岩石の高速艇で度々艦隊や商船を襲い補給は関門トンネル頼みだった。

彼らの船は見た目以上に頑丈で多少の射爆撃ならカエルの面に水をかけたぐらいの反応しかしない。
瀬戸内海を我が物顔で通行する彼らに業を煮やした東京の総司令部は岩石人達の船が発する特有の磁気や音波を解析し
それを機雷に設定する事によって岩石船への対抗策とした。
制空権を確保しているので大型機群による機雷敷設を実行しているが効果が出るのはもう少し先だろう。

外が何やら騒がしい何かあったのだろうか?
直後に不気味な音が司令部の奥にまで木霊した。
「何が起きた?」
「南西から激しい閃光が!」
「まさか、真・日本国が核兵器を実用化したのか?!」
伝令の報告に司令部は浮足立った。
「まて、まだ彼らの行動が原因とは限らない調査を続けろ」
そして数時間後に答えが返って来た。
「巨大鉄像が真・日本国軍の攻撃で撃破されました!」
司令部に衝撃が走る。
「やはり核兵器を実用化していたか!」
「いやまて彼らにとって曲がりなりにも自国だぞ?」
「しかし相手があの巨大鉄像ならば……」
米・外道川軍も対抗手段が他になければ核兵器の使用を検討していただけに真っ先にその可能性を思い浮かべた。
「写真が届きました!」
東京の総司令部に頼んでRB-29を張り付けて撮影した写真が漸く届いた。
「なんだこれは?!」
机の上に並べられた連続写真を見て一同沈黙する。
ジュディ(彗星)が単縦隊形で急降下爆撃をしているのは解る。
最後のジュディが投下した後、紫色の光が写って、次は全面が白くなりこれで終わりだと言う。
「偵察機の搭乗員の話ではカメラは壊れたが一帯が焼け焦げた跡もなく鉄像そのものが消えたと」
沈黙が続く。
「核ではない事ははっきりしたな」
大佐は気を取り直し口を開いた。

各地の真・日本国軍が一斉に動き出しスーパー・イラン帝国軍への攻勢を強めた。
米・外道川軍も反撃に転じたが思った以上に敵は堅かった。
その中で数少ない明るい話題は佐賀に居た埴針隊が味方勢力圏まで突破に成功した事ぐらいだ。
各地で遅々として反撃が進まず三日が過ぎた。

 「……八貫の弟、六貫である……」
真・日本国のラジオ放送がスーパー・イラン帝国のトップが死んだ事を告げた。
「確認を急げ」
謀略放送かそれとも事実なのか九州全土が騒然とした。
ただそれ以降スーパー・イラン帝国軍と諸派の投降が各地で報告された。
「放送は事実のようです」
真・日本国内に紛れさせたの諜報網の回答を受けてスーパー・イラン帝国指導者層の死亡が確定した。
「ついにネコジタ派との決戦か」
地図を見れば小郡より南は真・日本国軍が制圧しており、西も佐賀や長崎は制圧済み、南東の県境以外の敵は動きがあった。
筑後こそ失っているが北九州は安定しているし支配者不在となった福岡と筑豊を取り戻すべく進軍中だ。

だが彼らはいきなり躓いた。
福岡地域の真・日本国支持者が決起、さらに日和見派や元スーパー・イラン帝国諸派が合流する形で
米・外道川軍と交戦を開始、後に福岡一揆と呼ばれる事件が勃発した。
多々良川まで進出していたが地元の勢力がゲリラ戦を仕掛け形勢不利と見做し真・日本国軍主力が到着する前に撤退。
元スーパー・イラン帝国諸派のうち単純に反外道川政権だった層がそのまま真・日本国に地滑り的に動いたせいだ。

筑豊もあまり事態は良くない。
採銅所村に集積地を設けそのまま日田線沿いに北上して小倉を直接狙える位置だ。
幸いこのルートは線路が未開通な地域があり輸送力が低いので大兵力の運用には耐えられない。

唯一無事なのは北九州だがこれは大分県との県境である山国川のおかげだ。
川を挟んで大分県の真・日本国軍に睨みを利かせているがこちらに
福岡県南東である京築地方に兵を置かせるための陽動なのではという意見が強くなっている。


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